極楽から地獄へ

【シベリア鉄道の切符を手に入れ、バイクの計測を待っているうちに、子どもから大人まで好奇心旺盛なロシア人たちがバイクのまわりに次から次へとやってきていた】




 3等寝台の切符も首尾よく手に入れ、全てうまくいっていたはずだったのに、いつまでたっても荷物を計りに来ない。列車の時間までかなりあるので、そういうものなのだろうと思っていたが、余りに遅いので、念のため確かめに行った。するとわざわざ駅長が出て来て、バイクは送れないと今更になって言い出した。

 結局、朝一番から午後4時過ぎまで足留めを食ったのと同じことになった。しかも町から抜け出す道が最悪のダート(シベリア鉄道の線路に沿った旧シベリア横断道路)で、高架になっているパイパスの周りをぐねぐねと遠回りして数十キロ進むのに2時間以上もかかり、やっと横断道路に出るところに辿り着いた時には暗くなって来ていた。

 この日はガソリンスタンド手前の横断道路に出る直前のところにあるカフェに頼み、店先でキャンプを張らせてもらった。シベリア鉄道最北地点付近で初めての野営だった。

 氷点下のため、寒さで夜中に目が覚めた。トイレに出るにも命がけだ。イヌイットが用を足すために、テントの中に大きな空き缶を用意しているという話をこの時になって思い出したが、前もってそれが出来ていたらどんなに楽だったろうか。

【付記1: 後日規則で165kg以上のものは手荷物として送れないことが判明した】

【付記2: 夜中に日本人の二人組が車でカフェにやって来て、シートをかけられた二輪とテントを見ながら雑談していた。シートで仙台ナンバーは見えなかったようだ。テントを出て声をかけようかと思ったが、余りに寒くて、声をだすことさえも出来なかった。後から新聞で、同じ頃に戸井十月がバイクで逆のルートをチタあたりまでやって来ているのを知った。いまから考えると、話していた内容からして、おそらくマスコミ関係者だったのではないかと思われる。】

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